更新:2020/07/03

更新:2020/07/03
作成:2011/11/27

風仙洞

巴利国の謎~近巴利と奧巴利

魏志東夷伝倭人の条、通称「魏志倭人伝」には、30の国名が出てきます。30ヶ国の比定には、古来多くの人がその比定に挑戦していますが、研究者の間でほぼ同意ができているのは最初の4ヶ国にすぎません。すなわち、

です。上記4ヶ国に続く伊都国から意見が分かれ始め、投馬国からは比定地は北九州の範囲に収まらなくなります。卑弥呼がいたという邪馬台国や、女王国(倭国連合?)に属する 1.斯馬国、2.己百支国、3.伊邪国、4.都支国、5.彌奴国、6.好古都国、7.不呼国、8.姐奴国、9.對蘇国、10.蘇奴国、11.呼邑国、12.華奴蘇奴国、13.鬼国、14.爲吾国、15.鬼奴国、16.邪馬国、17.躬臣国、18.巴利国、19.支惟国、20.烏奴国、21.奴国、女王国に属さず卑弥呼に敵対する狗奴国も、九州説、大和説入り乱れ、百家争鳴状態です。

さて、このページでは遠絶なためよくわからない21ヶ国のひとつである「巴利国」について書いていこうと思います。

まず読み方ですが、通説の通り「はり」国でよいと思います。「ばり」または「ぱり」であったのかも知れません。「利」が「和」の誤字であるという説もありますが、誤字を疑いだしたらきりがありません。

安本美典氏は、筑前国上座郡把伎(はぎ)駅に比定してますが(→安本氏の説)、私にはどうも納得できません。「り」と「ぎ」では音が離れすぎているからです。また、北九州だけから魏志倭人伝の30国を比定するのは無理のような気がします。一方、邪馬台国大和説の論者は、よく巴利国を「播磨国」に比定しますが、これも「ま」をどう説明するか問題があります。ただ、これまでこれといった対案もありませんでした。

しかし、先日地図帳の瀬戸内海のページを見ていて閃いたことがあります。それは、古墳時代以前に、「巴利国」が2つ......「近巴利」と「奧巴利」或いは「遠巴利」......存在した時期があったのではないかということです。

Google MAP 地形表示による「今治=近巴利?」と「尾張=奧巴利?」
Google MAP 地形表示による「今治=近巴利?」と「尾張=奧巴利?」

上の Google Map に赤丸が3つあります。西の丸は朝倉市甘木、中央やや左は今治、右は名古屋市(旧尾張国の一部)です。私の考えでは次のような歴史があったのだと思います。

  1. 弥生時代後期に現在の今治市の辺りに「巴利国(はりこく)」があった。
  2. 現在の名古屋市の辺りに植民地ができたので、北九州の諸国は、今治の「巴利国」を「近巴利(こんはり)」、名古屋の辺りの「巴利国」を「奧巴利(おうはり/おくはり)」或いは「遠巴利(おんはり)」と呼んで区別した。
  3. 倭国の中心が北九州から大和の地(黒丸)に移動した結果、政治の中心からの遠近関係が逆転したため、「近巴利」は「今治(こんはり)」、「奧巴利」/「遠巴利」は「尾張(おはり)」に改称された。
  4. 「今」が訓読みされて「今治(いまはり)」になった。
  5. 「今治」は連濁で「いまばり」となり、「尾張」は「おわり」と発音されるようになった。

植民地が、住民や支配者の出身地に因んで名付けられることはよくあります。アメリカ合衆国やオーストラリアの地図を見れば「New」と付く地名だらけなのがわかるでしょう。日本では、北海道の伊達市は旧伊達藩に因み、福岡県・市の「福岡」は、筑前国を治めていた黒田氏の発祥の地である備前福岡(岡山県瀬戸内市)に因むと言われています。

「ん―日本語最後の謎に挑む―」表紙画像 「今」と「近」の音読みは、両方とも呉音が「コン」、漢音が「キン」です。現代中国語でも、「近」のピンインは「jin(四声)」、「今」のピンインは「jin(一声)」と非常に似ています。一方「奧」の音読みは呉音漢音とも「オウ」(「おく」は慣用読み)、ピンインは「ao」、「遠」の音読みは呉音が「オン」、漢音が「エン」、ピンインは「yuan」なので、「奧」「遠」では発音が若干違うものの、平安時代以前「ん」を表記する文字が無く、しかも「ん」は貴族に嫌われた歴史がある(山口謡司著、新潮新書「ん―日本語最後の謎に挑む―」 )ことを考えると、「オウ/オー/オオ」と「オ」の違いしかなかった時代があったのではないかと思われます。

この2つの地域は、県名(郡名)にも共通性があり、愛媛、愛知という具合に「愛」という字が共通して使われています。また、「姫(ひめ)」という言葉は、一般には大和言葉と考えられていますが、語源が中国語の「嬪(ヒン)」(ピンインで「pin」)の古語(*pim?)であることも言語学的に十分考えられます。中国語ピンインでは、知が「zhi」、媛は「yuan」、姫が「ji」と三者三様ですが、「zhi」と「ji」はかなり似ています。仮名表記では区別できないでしょう。愛知の「知」がもともとは「姫」だったとしたら、意味が同じ......音読みと訓読みの違い......になってしまいます。

愛媛には、古墳時代に現在の今治市を中心とした越智郡があり、平安時代にかけて豪族越智氏が越智郡大領を歴任し、海賊退治に活躍したりしました。越智は「おち」と読みますが、「越」の音読みは「えつ」ですから、「えつち」或いはそれが訛った「えち」と読めなくはありません。これでかなり「愛知(あいち)」に近づいてきました。しかも滋賀県には「愛知(えち)」郡があります。

もうひとつ付け加えれば、「越(yue)」と「奧(ao)」にも秘密がありそうです。「越」は呉越同舟の「越」であって古代中国南部にあった国です。戦国時代末期、越が楚に滅ぼされた時、住民の多くは現在の広東省方面に逃げて百越と言われる小国群を作りました。広東省は別名で「粤(エツ、yue)」とも呼ばれますが、越族の移住先だからです。当時日本列島に逃げたグループもあったかも知れません。中国大陸の東岸を台湾の北まで一旦南下すれば、黒潮や対馬海流に乗って九州に行きやすいのです。越族の作った国であるから、植民地には「粤」に似た「奧」という字が選ばれた可能性もあるのではないかと思います。